昨日は、またしても浅草三社祭に行き、神輿を担いできました。筋肉痛&
疲労&打撲のため今日は去年のブログのご紹介します。今年の模様&写真は明日アップします。
以下は去年初めて参加した浅草三社祭のブログをまとめたものです。
初参加した浅草三社祭のお話をしたいと思います。
私を含めて東京は地方出身者の多い地域です。
多くが大学進学や就職と同時に東京に出て来る人です。18歳ぐらいで地方を離れ、東京に移り住みますから、
地方の本格的な祭りに出ることもなく、また東京の下町のお祭りに出ることもない方が大半だと思います。東京の下町のお祭りに参加するのは、
ハードルがとても高く、基本は氏子の三代目ぐらいでないと参加できません。
よく『ちゃきちゃきの江戸っ子』という言い方をしますが、この『ちゃきちゃき』
の語源は嫡嫡(ちゃくちゃく)のことのようで、『ちゃきちゃき』とは文字通り、嫡男の嫡男。すなわち江戸に住み始めた人の長男の長男(嫡子)
のみが、『ちゃきちゃきの江戸っ子』と名乗れたようです。今は下町生まれの下町育ちを指すような使い方になってますけど、
正確には間違った使い方のようです。
私は、当然江戸に住み始めた初代ですから、『ちゃきちゃきの江戸っ子』
が参加できるお祭りは、私の孫の世代から参加できることになります。氏子の三代目から参加が許される浅草の三社祭は、
ただ見物するだけだと諦めていました。
三代目にならねば、参加できない敷居の高い江戸のお祭り。宮崎出身の私は、
自分の代では、参加できないものと諦めておりました。ところが、不思議な縁はあるもんで、なぜか参加できることになってしまいました。
昔から多少は、憧れていたお祭りですから、まずは、格好から入ろうと、張り切って
『股引き、鯉口、前掛け、地下足袋』のお祭り4点セットを購入しました。ご存知ない方が多いと思いますが、現代の地下足袋には、
かかとにエアー・クッションのあるものもあります。お祭り参加経験のある方のアドバイスによると、これらの格好は全て『粋』
かどうかのようで、楽だろうなと思われるエアー・クッションも邪道。粋とは江戸っ子の痩せ我慢のことのようです。
髪の毛も粋に短髪にしたいところですが、業務に支障が出そうなので、短髪は諦め、準備万端な状態でお祭り当日を迎えました。
土曜日は朝7時30分に集合し、着替えを済ませ、神輿の前に集合です。
予め神輿を担ぐ上での、注意事項の説明がありました。神輿には4本の棒があります。前後合わせて8本の担げる棒がある訳です。
「我々の担げる棒は神輿進行方向前の部分の左から2番目です。担げる場所が決まっていますから、決して他の棒に触れないように。
ボコボコにされますよ。」
「ボコボコ?」それまで脳天気だった私にも、なんとなく嫌な予感がしてきました。
「ボコボコとは物騒な言い方だなあ。」と、この時は、まだ多少の余裕がありました。神輿の出発地点に行くと、
半纏を着た担ぎ手が集まってきました。担ぎ手はそれぞれの町内会、同好会でお揃いの半纏を着ています。
逆に言うとこの半纏を着ていないと担げない訳です。私もこの半纏を着て、江戸っ子きどりです。(ここまでは良かったのですが。。。)
しかし、半纏を着ている人をよくよく見ると、
明らかに一般人ではない方がいらっしゃいます。ツルツルの丸坊主やパンチパーマ、ヒゲ、サングラスといった方々が大勢います(泣)。
渋谷などでは、タトゥーをした若者を良く見かけますが、この方たちのそれは、タトゥーではなく、当然立派な和物です(泣)。
「こりゃヘタな事すると、ボコボコだわな。」私の良く知らないこの世界。
ルールを破ると制裁が待っているのはすごく理解できました。
四十四ある町内会の神輿が浅草寺に集結します。
その内のひとつの神輿がいよいよ出発します。初参加の私に気を使ってか、最初から神輿が担げるようです。物騒ですが、
多少のうれしさもありました。威勢の良い掛け声と伴に神輿のスタートです。でもこの時まで、その後の辛さは全く考えておりませんでした。
担ぎ棒は、固く大きな木材ですから、肩が痛くなるのは覚悟していました。
サロンパスは必須だろうというのも、想定の範囲内でした。ところが、いざ神輿を担いでみると、想定の範囲外の出来事が待っていました。
肩が痛いのは勿論ですが、腰にすごい負荷がかかっています。「こりゃ、とんでもない企画に参加しちゃったな。」
神輿の担ぎ手は、男性ばかりではありません。粋に髪を結った女性も当然担ぎます。
となると、担ぎ手の平均身長は(男女あわせた)平均的な日本人になります。ところが私の身長は184センチ。気合いを入れて、
背筋を伸ばして担ごうとすると、自分ひとりの肩にメイメリと角材が刺さって悲鳴を上げてしまいます。
そうなると回りはぶら下がっているだけになってしまいます。
背筋を伸ばしての神輿担ぎは苦しすぎます。でも、回りに合わせようとすると、
腰をかなり折った窮屈な姿勢になります。ゆっくり神輿は進んで行きますから、その窮屈な状態で歩かなければなりません。
中途半端なヒンズースクワットをしながら歩くようなもんです。あっという間に、運動不足の体が悲鳴を上げ始めました。
背が高いと得することが多かった人生でしたが、この時ばかりは、真逆です。小さいおじさんが、
楽そうに担いでいるのを恨めしそうに眺めるだけです。
苦しくなったら、回りの担ぎ手と交代です。我々は4本ある棒の前列、左から2番目です。
回りに他の担ぎ手がギュウギュウ詰めでいますから、次の担ぎ手は、棒の1番後ろに入っていきます。5人ぐらいが前列にいますから、
後ろから4人入ると最前列。5人目が入って、やっと外に出れます。苦しい時は回りに「苦しい、代わって。」と目で訴えます。
開始数分で一応SOSを訴えましたが、数分でヘタレるとは、回りも思っていないのか、全然伝わりません。10分ほど無理してやっと交代です。
やっと神輿から解放されましたが、既に肩には激痛が走っています。
2日間参加する予定ですが、この10分でもう十分な気がしました。町内を出た神輿はやがて仲見世通りに入っていきます。
ここから雷門までは見物客が一番多いところです。担ぎ手の気合いも入り、神輿が大きく揺れ始めます。
神輿担ぎは十分満足しているのに、回りの方は、
初参加の私にいい場所で担がせようと気配りをしてくれます。「大きなお世話だ。」と思いつつも、担ぎ棒の一番後ろに入れられてしまいました。
仲見世通りにはギャラリーが多く、盛り上がりますが、さっき以上に角材が肩にめり込みます。周囲の空気とは別に、
たぶん私一人だけ盛り下がっています。
この土曜日は天気も良く、
お祭りには最高ですが、すぐに汗だくになります。掛け声を出そうにも、ノドがカラカラで声が出ません。「いい場所で担がなくてもいいから、
早く変わって欲しい。」回りにSOSです。ところが、気配りの方々が最前列を女性に担がせようとし始めました。担ぎ手が、
後ろから入ってくれれば、その内脱出できますが、最前列のみが入れ替わると、いつまで経っても担いだままです。
気が遠くなりそうになりながら、「運動不足の39歳の神輿担ぎは、体を鍛えていた29歳のキリマンジャロ登山
(詳しくはサイト内をキリマンジャロで検索して下さい。)より過酷かもしれない。。。」とか思ったりしていました。
あと10メートル程で雷門。担ぎ手のテンションがピークに達したところで、
私だけヨロヨロと神輿から脱出しました。たぶん顔は青ざめていたと思います。土曜日の午前中だというのに、既に燃え尽きてしまいました。
立っているのも辛い状態です。浅草寺に神輿を置くと、やっと昼食です。昼食ですが、当然食欲0です(辛)。
弱った体にアルコールが効いてきます(笑)。
午後は浅草寺を出発して、
町内に戻ります。休憩を挟んで町内を回り、さらにその後また浅草寺まで担ぎます。楽しみに思っていた1日4回の神輿も、
今となっては苦痛以外の何物でもありません。
昼食休憩で多少は回復しましたが、本調子ではありません。
午後は見物人の多い浅草寺からのスタートです。私は露骨に担ぐのを嫌がっていましたが、「ここが一番盛り上がる所だから。」
とまた神輿の中へ。肩と腰がみるみる悪化していきます。早々と神輿から脱出し、神輿の回りをついて行くことにしました。
仲見世通りでは、多くの見物人が写真を撮っています。
一般の人とは違う担ぎ手の粋な格好に多少の優越感はあります。今回のいい所はこの多少の優越感ぐらいです。
ふと気がつくと、神輿を担いでいる人からSOSのサインが出ているようです。汗だくで、
かなりきつそうですが、私も自分が大事。担がされては大変なので、
SOSのサインを出している人と目を合わさないように軽く無視する始末です(笑)。
その後も無理な状態なのに何度か担がされ、やっとのことで町内に戻ってきました。
小休止の後、また町内一周です。この時点で、「頼むから、帰っていいですか?」という状態なのに、
やる気満々の方々に気持ちを伝えることができません。
3回目となる町内会を回る神輿には、担ぐ気力もなく、神輿の後ろをついて回るだけです。
腰にかなりの違和感を感じつつ、「これはいよいよ無理だな。」と思い始めました。よろよろ歩いてやっと3回目の終了です。肩・
腰ばかりではなく、拍手のし過ぎで手のひらは内出血してしまってます(泣)。
休憩所では寝転ぶしかありません。この休憩は本来4回目の神輿のためですが、
私にとっては、タクシーが拾えるところまで歩く力を貯めるためです(笑)。電車で帰宅する元気があるはずもなく、
救急車でも呼んでもらいたいくらいです。やっと覚悟を決めて回りの方々に帰る旨を伝えました。「明日も来れるんだよね。」
とぞっとする声が聞こえてきました。
明日は浅草神社に3基ある宮神輿のひとつを担げます。実はこれがメイン・イベントです。
担ぎ棒の位置のみならず、担げる区域までが割り当てられています。1トンもある神輿はそれはそれは見事なものだそうです。
今朝までは当然出るつもりでしたが、この状態ではとても無理です。
半病人の状態で自宅に帰り、ひたすら眠り体力の回復を待ちました。
しかし翌日の朝までに回復することもなく、結局休むことにしました。この状態が1日で回復などするはずがありません。
1週間は肩の内出血のあとがしっかり残り、実は今もまだ腰に軽い違和感があります。
粋な格好での写真撮影も日曜日にする予定でしたので、1枚も写真がありません。
こればかりは心残りです。お祭りに参加した証となる写真が欲しいのであれば、また来年参加するしかありません(泣)。
普段の生活で「和」や「粋」は意識しないで生活してますが、
たまにこれらに触れてみるのもいいもんです。たった1日の江戸っ子体験でありましたが、まだまだ書き足らない部分がいっぱいあります。
まさに新鮮な体験をさせてもらえて感謝しています。そうは言いつつ、神輿はもう2度と担がないと思ったりしていますが、
肝心の江戸っ子モードの写真がないし。。。
来年はどうなりますやら(笑)。
おわり。