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司法書士法人ファルコは商業登記・会社登記・法人登記を中心とした企業法務コンサルティングに特化した専門家集団です。

ブログ

2005年09月07日

台風一過、私の車は?

昨日あれから、救助のボートなどが来てくれたそうです。マンションの住民約10名が実家2に避難していたので、水や食料の心配をしていたのですが、レスキュー隊が彼らを安全な場所に運び出してくれたおかげで、余計な心配はせずにすみました。

一夜明けて。
あれだけあった水も朝には引いていました。(TV電話の映像より)。懸案だった車の様子を確認に行けます。ご存知のように、台風による水没などの被害では、自動車の保険会社から保険金は出ません。電気系統がやられてしまいますから、基本的には廃車となってしまいます。早速父に実家1に行ってもらい、実家1(というより愛車)が無事か見てきてもらいました。

実家周辺のほとんどが被害にあったようですが、それでも、うちの実家1の近所3軒のみ被害にあわなかったようです。当然車も無事。一安心です。

しかしながら実家2のあるマンションの1階は全部やられていますので、リフォームや何やらでお金はかかります。(この場合も保険金は普通でません。)これから暫くは、後片付けで大変そうです。とにかく全てを捨てる作業が大変だと言っていました。

まさか自分の実家が、とんでもない自然災害にあうなど想像もしていませんでしたが、皆怪我もなかったのがせめてもの救いでした。

2005年09月06日

実家に台風直撃!

ご存知のように私の実家は宮崎。今回の台風14号が実家を直撃しました。色々な災害のニュースがあっても、心のどこかには「対岸の火事」といった余裕めいたものがあったのですが。。。

地震はともかく台風は、年に何回も宮崎を通過します。(ある程度の規模の台風が来ると学校がお休みになるので、子供の頃は台風が来るとちょっとワクワクする不謹慎な部分がありました。)何度台風が上陸しても実家の地方は台風慣れしており、いつもの事と安心しておりました。今回も朝のニュースでは、「いつもの台風だな。」と別に実家を気にする事もなかったのですが、一応念の為、実家に電話してみてビックリ、とんでもない事になっていました。

諸事情がありまして、実家は私の生家である平屋建の実家1と両親の経営しているマンションの最上階の実家2があります。(実家1も実家2も同一地域にあります。)電話をかけてみると、「避難勧告は出たっちゃけど、こっち(実家2)まで水はこんと思って、こっちにおったっちゃが。。。」とのこと。両親は避難もせず、またマンションの住民の大半も「のんびりやさんの宮崎人」らしく、ほとんど避難しなかったようです。

いつもはそれでいいのでしょうが、母親曰く「生まれて初めて」となる災害に巻き込まれてしまいました。宮崎市の中央を流れる大淀川の支流の堤防が決壊し、実家のある地域に水が流れ込んでしまいました。現在マンションの1階部分は水没し、1階の住民は、両親の住む実家2に避難しているそうです。TV電話で向こうの様子を見せてもらったのですが、完璧に1階部分は水没。向いの病院の駐車場には、自動車がプカプカ浮いていました。

プカプカ浮かぶ車を見て、嫌な予感。。。実は実家に私の愛車RX−7(FD3D)を置いています。対岸の火事どころではありません。
「俺の車は??」
「(駐車場が)こっちより高いから、あっち(実家1)に置いちょっとやけど。」
「どうなってる?」
「わからん。見に行かれんもん。」
「えっ?」

ヘタすると私にも台風の被害が及びそうです。。。

2005年08月09日

とうとう40歳

30代最後の夏が終わり、とうとう40歳になってしまいました。ちなみに朝一で誕生日を祝ってくれたのは母でした。普通に電話してくれればいいのに、わざわざFOMAのTV電話。40になった息子の顔など見たくはないと思いますが、何を考えているんでしょうね(笑)。

事務所では、40、40と言われ、正直悲しくて涙が出そうでした(笑)。1年1年が加速度を増し、過ぎていきます。油断するとあっという間に50歳になってしまいますので、1日1日充実した日々を過ごそうと思います。

若かった青春時代も遠い話です。現在の私しか知らない人には、想像できないようですが、あの頃は、今よりずっと痩せていましたので、割りとモテモテの日々を送っていました。当時の事を知らない人にいくら説明しても信じてもらえないのですが、当時を知る中学・高校の後輩より、当時の事を証明する貴重な書き込みが事務所の掲示板にありました。(詳しくはこちら。)

「実は昔、先輩に憧れていましてこのHPをみつけて嬉しくなってかきこんでしまいました!」という書き込み(←決してやらせではないはず(笑)。)に、40になって落ち込んでいた私も気分が良くなってしまいました(笑)。実は事務所のHPの自己紹介のコーナーに写真を掲載しようと思っていましたが、この後輩の良き思い出のために、痩せるまで止めておくことにします(笑)。

2005年06月09日

浅草三社祭 完

本当にお祭り最終回です。業務日誌からかけ離れてしまい、申し訳ありませんでした。
さてラスト。

明日は浅草神社に3基ある宮神輿のひとつを担げます。実はこれがメイン・イベントです。担ぎ棒の位置のみならず、担げる区域までが割り当てられています。1トンもある神輿はそれはそれは見事なものだそうです。今朝までは当然出るつもりでしたが、この状態ではとても無理です。

半病人の状態で自宅に帰り、ひたすら眠り体力の回復を待ちました。しかし翌日の朝までに回復することもなく、結局休むことにしました。この状態が1日で回復などするはずがありません。1週間は肩の内出血のあとがしっかり残り、実は今もまだ腰に軽い違和感があります。

粋な格好での写真撮影も日曜日にする予定でしたので、1枚も写真がありません。こればかりは心残りです。お祭りに参加した証となる写真が欲しいのであれば、また来年参加するしかありません(泣)。

普段の生活で「和」や「粋」は意識しないで生活してますが、たまにこれらに触れてみるのもいいもんです。たった1日の江戸っ子体験でありましたが、まだまだ書き足らない部分がいっぱいあります。まさに新鮮な体験をさせてもらえて感謝しています。そうは言いつつ、神輿はもう2度と担がないと思ったりしていますが、肝心の江戸っ子モードの写真がないし。。。

来年はどうなりますやら(笑)。
おわり。

2005年06月08日

浅草三社祭 その8

定時株主総会の準備に追われる日々です。こんな状況下で日々ネタを探していたら、かなり厳しいと思われましたが、幸いなことにお祭りネタがあり助かりました。延々とやってお茶を濁してしまいましたが、お祭りネタ最終回です。

昨日のつづき。
その後も無理な状態なのに何度か担がされ、やっとのことで町内に戻ってきました。小休止の後、また町内一周です。この時点で、「頼むから、帰っていいですか?」という状態なのに、やる気満々の方々に気持ちを伝えることができません。

3回目となる町内会を回る神輿には、担ぐ気力もなく、神輿の後ろをついて回るだけです。腰にかなりの違和感を感じつつ、「これはいよいよ無理だな。」と思い始めました。よろよろ歩いてやっと3回目の終了です。肩・腰ばかりではなく、拍手のし過ぎで手のひらは内出血してしまってます(泣)。

休憩所では寝転ぶしかありません。この休憩は本来4回目の神輿のためですが、私にとっては、タクシーが拾えるところまで歩く力を貯めるためです(笑)。電車で帰宅する元気があるはずもなく、救急車でも呼んでもらいたいくらいです。やっと覚悟を決めて回りの方々に帰る旨を伝えました。「明日も来れるんだよね。」とぞっとする声が聞こえてきました。

今日で最終回にするつもりでしたが、ちょっと長くなってしまいました。明日は本当に最終回。