本文へスキップ

司法書士法人ファルコは商業登記・会社登記・法人登記を中心とした企業法務コンサルティングに特化した専門家集団です。

ブログ

2005年06月07日

浅草三社祭 その7

司法書士試験まで1ヶ月を切りました。これを読んでいる人の中には受験生もいると思いますが、悔いのないよう頑張って下さい。さて、お祭りのつづき。

午後は浅草寺を出発して、町内に戻ります。休憩を挟んで町内を回り、さらにその後また浅草寺まで担ぎます。楽しみに思っていた1日4回の神輿も、今となっては苦痛以外の何物でもありません。

昼食休憩で多少は回復しましたが、本調子ではありません。午後は見物人の多い浅草寺からのスタートです。私は露骨に担ぐのを嫌がっていましたが、「ここが一番盛り上がる所だから。」とまた神輿の中へ。肩と腰がみるみる悪化していきます。早々と神輿から脱出し、神輿の回りをついて行くことにしました。

仲見世通りでは、多くの見物人が写真を撮っています。一般の人とは違う担ぎ手の粋な格好に多少の優越感はあります。今回のいい所はこの多少の優越感ぐらいです。

ふと気がつくと、神輿を担いでいる人からSOSのサインが出ているようです。汗だくで、かなりきつそうですが、私も自分が大事。担がされては大変なので、SOSのサインを出している人と目を合わさないように軽く無視する始末です(笑)。

一応、次回でお祭り最終回。

2005年06月03日

浅草三社祭 その6

この土曜日は天気も良く、お祭りには最高ですが、すぐに汗だくになります。掛け声を出そうにも、ノドがカラカラで声が出ません。「いい場所で担がなくてもいいから、早く変わって欲しい。」回りにSOSです。ところが、気配りの方々が最前列を女性に担がせようとし始めました。担ぎ手が、後ろから入ってくれれば、その内脱出できますが、最前列のみが入れ替わると、いつまで経っても担いだままです。気が遠くなりそうになりながら、「運動不足の39歳の神輿担ぎは、体を鍛えていた29歳のキリマンジャロ登山(詳しくはサイト内をキリマンジャロで検索して下さい。)より過酷かもしれない。。。」とか思ったりしていました。

あと10メートル程で雷門。担ぎ手のテンションがピークに達したところで、私だけヨロヨロと神輿から脱出しました。たぶん顔は青ざめていたと思います。土曜日の午前中だというのに、既に燃え尽きてしまいました。立っているのも辛い状態です。浅草寺に神輿を置くと、やっと昼食です。昼食ですが、当然食欲0です(辛)。

弱った体にアルコールが効いてきます(笑)。

つづく。

2005年06月02日

浅草三社祭 その5

こんなネタで連載していて申し訳ないですけど、今日も昨日のつづき。

苦しくなったら、回りの担ぎ手と交代です。我々は4本ある棒の前列、左から2番目です。回りに他の担ぎ手がギュウギュウ詰めでいますから、次の担ぎ手は、棒の1番後ろに入っていきます。5人ぐらいが前列にいますから、後ろから4人入ると最前列。5人目が入って、やっと外に出れます。苦しい時は回りに「苦しい、代わって。」と目で訴えます。開始数分で一応SOSを訴えましたが、数分でヘタレるとは、回りも思っていないのか、全然伝わりません。10分ほど無理してやっと交代です。

やっと神輿から解放されましたが、既に肩には激痛が走っています。2日間参加する予定ですが、この10分でもう十分な気がしました。町内を出た神輿はやがて仲見世通りに入っていきます。ここから雷門までは見物客が一番多いところです。担ぎ手の気合いも入り、神輿が大きく揺れ始めます。

神輿担ぎは十分満足しているのに、回りの方は、初参加の私にいい場所で担がせようと気配りをしてくれます。「大きなお世話だ。」と思いつつも、担ぎ棒の一番後ろに入れられてしまいました。仲見世通りにはギャラリーが多く、盛り上がりますが、さっき以上に角材が肩にめり込みます。周囲の空気とは別に、たぶん私一人だけ盛り下がっています。

つづく。

2005年06月01日

浅草三社祭 その4

業務とは無関係な日誌が続いていますが、3月決算の会社の定時総会の準備に追われ始めています。

さて昨日のつづき。
担ぎ棒は、固く大きな木材ですから、肩が痛くなるのは覚悟していました。サロンパスは必須だろうというのも、想定の範囲内でした。ところが、いざ神輿を担いでみると、想定の範囲外の出来事が待っていました。肩が痛いのは勿論ですが、腰にすごい負荷がかかっています。「こりゃ、とんでもない企画に参加しちゃったな。」

神輿の担ぎ手は、男性ばかりではありません。粋に髪を結った女性も当然担ぎます。となると、担ぎ手の平均身長は(男女あわせた)平均的な日本人になります。ところが私の身長は184センチ。気合いを入れて、背筋を伸ばして担ごうとすると、自分ひとりの肩にメイメリと角材が刺さって悲鳴を上げてしまいます。そうなると回りはぶら下がっているだけになってしまいます。

背筋を伸ばしての神輿担ぎは苦しすぎます。でも、回りに合わせようとすると、腰をかなり折った窮屈な姿勢になります。ゆっくり神輿は進んで行きますから、その窮屈な状態で歩かなければなりません。中途半端なヒンズースクワットをしながら歩くようなもんです。あっという間に、運動不足の体が悲鳴を上げ始めました。背が高いと得することが多かった人生でしたが、この時ばかりは、真逆です。小さいおじさんが、楽そうに担いでいるのを恨めしそうに眺めるだけです。

つづく。

2005年05月31日

浅草三社祭 その3

昨日のつづき。
「ボコボコとは物騒な言い方だなあ。」と、この時は、まだ多少の余裕がありました。神輿の出発地点に行くと、半纏を着た担ぎ手が集まってきました。担ぎ手はそれぞれの町内会、同好会でお揃いの半纏を着ています。逆に言うとこの半纏を着ていないと担げない訳です。私もこの半纏を着て、江戸っ子きどりです。(ここまでは良かったのですが。。。)

しかし、半纏を着ている人をよくよく見ると、明らかに一般人ではない方がいらっしゃいます。ツルツルの丸坊主やパンチパーマ、ヒゲ、サングラスといった方々が大勢います(泣)。渋谷などでは、タトゥーをした若者を良く見かけますが、この方たちのそれは、タトゥーではなく、当然立派な和物です(泣)。

「こりゃヘタな事すると、ボコボコだわな。」私の良く知らないこの世界。ルールを破ると制裁が待っているのはすごく理解できました。

四十四ある町内会の神輿が浅草寺に集結します。その内のひとつの神輿がいよいよ出発します。初参加の私に気を使ってか、最初から神輿が担げるようです。物騒ですが、多少のうれしさもありました。威勢の良い掛け声と伴に神輿のスタートです。でもこの時まで、その後の辛さは全く考えておりませんでした。

つづく。