本文へスキップ

司法書士法人ファルコは商業登記・会社登記・法人登記を中心とした企業法務コンサルティングに特化した専門家集団です。

ブログ

2005年05月30日

浅草三社祭 その2

先週は、殆ど事務所におりませんでした。失礼しました。地方出張のお話などは、次回に回し、三社祭のつづき。

三代目にならねば、参加できない敷居の高い江戸のお祭り。宮崎出身の私は、自分の代では、参加できないものと諦めておりました。ところが、不思議な縁はあるもんで、なぜか参加できることになってしまいました。

昔から多少は、憧れていたお祭りですから、まずは、格好から入ろうと、張り切って『股引き、鯉口、前掛け、地下足袋』のお祭り4点セットを購入しました。ご存知ない方が多いと思いますが、現代の地下足袋には、かかとにエアー・クッションのあるものもあります。お祭り参加経験のある方のアドバイスによると、これらの格好は全て『粋』かどうかのようで、楽だろうなと思われるエアー・クッションも邪道。粋とは江戸っ子の痩せ我慢のことのようです。髪の毛も粋に短髪にしたいところですが、業務に支障が出そうなので、短髪は諦め、準備万端な状態でお祭り当日を迎えました。

土曜日は朝7時30分に集合し、着替えを済ませ、神輿の前に集合です。予め神輿を担ぐ上での、注意事項の説明がありました。神輿には4本の棒があります。前後合わせて8本の担げる棒がある訳です。「我々の担げる棒は神輿進行方向前の部分の左から2番目です。担げる場所が決まっていますから、決して他の棒に触れないように。ボコボコにされますよ。」

「ボコボコ?」それまで脳天気だった私にも、なんとなく嫌な予感がしてきました。

2005年05月23日

浅草三社祭

先週金曜日は予定通り、初の支部長会に出てきました。支部長会に出席した感想などは、ちょっと次回に回し、週末にこれも初参加した浅草三社祭のお話をしたいと思います。

私を含めて東京は地方出身者の多い地域です。多くが大学進学や就職と同時に東京に出て来る人です。18歳ぐらいで地方を離れ、東京に移り住みますから、地方の本格的な祭りに出ることもなく、また東京の下町のお祭りに出ることもない方が大半だと思います。東京の下町のお祭りに参加するのは、ハードルがとても高く、基本は氏子の三代目ぐらいでないと参加できません。

良く『ちゃきちゃきの江戸っ子』という言い方をしますが、この『ちゃきちゃき』の語源は嫡嫡(ちゃくちゃく)のことのようで、『ちゃきちゃき』とは文字通り、嫡男の嫡男。すなわち江戸に住み始めた人の長男の長男(嫡子)のみが、『ちゃきちゃきの江戸っ子』と名乗れたようです。今は下町生まれの下町育ちを指すような使い方になってますけど、正確には間違った使い方のようです。

私は、当然江戸に住み始めた初代ですから、『ちゃきちゃきの江戸っ子』が参加できるお祭りは、私の孫の世代から参加できることになります。氏子の三代目から参加が許される浅草の三社祭は、ただ見物するだけだと諦めていました。

つづく。

2004年10月14日

西高理数科 つづき

法律から遠ざかりつつある業務日誌ですが、昨日のつづき。
朝7時30分から始まり、週52コマという授業。当時はこのシステムに反感を持っておりましたが、今になって考えると先生も大変だったんだろうなと思います。7時30分に授業は始まりますが、生徒は早起きに慣れてしまうのか、不思議と遅刻する生徒は少なかったような気がします。

当然理数科ですから、この52コマのカリキュラムの大部分は理数系の授業です。普通の学校ではありえない数学の2時間連続授業などがよくありました。(多い日は1日数学が4時間とかあったような気がする。)この過度な理数系偏重授業のおかげで、文系を含めた共通一次(今のセンター試験)の数学のクラス平均点は190点(200点満点)を超えます。一部の失敗した生徒を除き、全員200点取れて当たり前の状態です。勿論理数科内文系の生徒も例外ではなく、基本的に200点取れます。訓練というのは、効果として現れるもんですね。このパフォーマンス維持のため、理数科の生徒は(一応別に普通科もあった)基本的に部活動が禁止されていました。

そんな過酷な環境の中、私はこのシステムに対する反抗心からか、また或いは、こんな業務日誌を継続できる文系的な本来の私の姿(?)からか分かりませんが、進路を私立文系に定めてしまいました。(田舎の少年が単に東京に憧れ、早稲田ならモテルという噂を信じただけのような気もしますが(笑)。)

私の受験科目(英語・国語・日本史)は52コマのうちたった16コマ。(悔しかったので、今でも覚えている(笑)。)試験の直前も数Tのみならず、数Vや物理・化学の定期試験対策までやらされておりました。受験直前期の数学の授業やテストなど、大きなハンデを抱えての私立文系受験でしたが、幸いなことに第1志望の大学に合格しました。(学校の担任の先生には、ギリギリまで地方の国立の医学部に行けと言われていました(笑)。

そんな悲惨な環境でしたが、理数科の多才な同級生と通常ではありえない密な時間を青春時代に共有しましたから、今でも仲が良く、全国各地で頻繁に(年間10回以上)同窓会をやっています。ちなみに今日もその飲み会があります(笑)。

2004年10月13日

西高理数科

シリーズで遺言をやりますと言っておきながら、だいぶ間隔が開いていますが、気分が乗らないので、今日は自分の出身高校のお話。何ら法律がらみの話はありません(笑)。

私の出身地は宮崎県宮崎市です。その宮崎市にある宮崎県立宮崎西高の理数科に通っていました。商業科・普通科というのはよくありますが、私の通っていた当時、理数科は県内に1校しかありませんでした。そのため、宮崎市内以外の生徒は、みんな下宿生活を送っていました。

理数科という名前がついていますから、理数系を極めるのが本来のあるべき姿なのでしょうが、理数科の内部に文系もありました。要は地方の単なる進学クラスです。学校の理数科に対する教育方針は、1人でも多く国立の医学部に合格させることです。その結果、理数科の生徒の進路の大半は、国立大の医学部に進みます。(そのため同窓会に集まると殆どがお医者さんです。)この方針を維持するには、かなりの受験対策が必要となります。しかし宮崎市には、大手の受験予備校はありません。そのため、学校がその予備校の代わりの役目を果たしていました。

知り合いに説明しても、中々信じてもらえないのが、理数科の時間割です。予備校の役割を果たすため、朝は7時30分から朝課外という授業が始まります。当然先生もいる普通の授業です。放課後には2時間の補習授業があります。つまり月曜から金曜までは、午前中5時間・午後4時間の1日9時間授業、土曜日は午前中5時間・午後2時間の1日7時間授業(かろうじて日曜日はお休み)の週52コマという驚異的な授業が行われていました。

こんな法律と関係ない話ですけど、長くなったのでつづく(笑)。

2004年09月30日

すみませぬ。。。

悲惨な結末は明日と昨日書いたのですが、突然高校の同級生が事務所に遊びに来たので、早めに業務を終了します。すみません。。。