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司法書士法人ファルコは商業登記・会社登記・法人登記を中心とした企業法務コンサルティングに特化した専門家集団です。

ブログ

2003年06月02日

キリマンジャロ−その7

夜テントで中々眠れません。いらいらしてきます。他のグループの人に脈を計ってもらったところ、安静時なのに180です。安静にしているのに短距離走直後のような脈拍はきつ過ぎます。これで登り始めたら脈拍は200を簡単に超えてしまいそうです。めちゃめちゃ頭痛もしてきました。まさかこれが高山病か?普通に生活していると高山病かかることもありませんが、とにかく苦しいです。水を飲むと楽になるといわれ、ひたすら水分補給しました。
水を飲むとトイレに行きたくなります。近くにトイレはありませんから、その辺ですることになります。テントから50メートルほど離れたところに茂みのようなところがあり、そこで用を足せばいいのですが、歩くのがキツいのでテントを出てすぐのところでしてしまいました。とても気分の悪そうな私に、同行している冒険野郎たちは「こんな近くでするなよ!」とか文句言いませんでした。気の毒だと思われたようです。他のグループでは、脱落者が出て山を降りていきました。高山病は治すにはただ山を降りれば治るそうです。モスクワを経由してここまで来ているのに、これで降りて帰ると一生何もできない奴(ヘタレ)になりそうな気がします。「失敗したら」と考えれば考えるほどヘコんでしまいます。あまり気分が悪いと言ってると山を降りることになりそうだったので、結局静かにしていました。自分の心臓の鼓動だけがテントの中に響きます。
P.S.
昨日の考査で特別研修は全て終了しました。どんな問題が出るかわからない試験を受けるのってキツイですね。試験問題は持ちかえり可でしたので、2回目以降の人達はだいぶ楽になりそうです。(時間があったら問題をUPしておきます。)ご高齢の受験者は何十年ぶりの試験だったと思います。問題を解いている様子が痛々しかったです。結果は7月ぐらいに発表されるみたいです。この頃になっても結果に触れないようでしたら、そっとしておいて下さい。
私のお客様の中には、考査終了まで質問を遠慮して下さった方(ありがとうございます。)もいらっしゃいました。が、今日から皆さんが一斉に質問されるので、考査が終わったのにかえって忙しくなってしまいました(笑)。

2003年05月30日

キリマンジャロ−その6

ここまで多少疲れはありますが、高山病の症状はでてません。しかしヘビースモーカーの私(1日40本以上)がこのあたりからタバコを吸わなくなりました。結局山を降りるまで吸いません(吸えません)でした。なんとなく空気が薄くなってきた気がします。一緒に登っている冒険野郎がここで高度順化(高山病防止のため、ある一定の高度に一定の時間滞在する)するため、ここに3泊する予定だと説明しました。「楽勝だからガンガン行きましょう!」とお正月初日の出を頂上で迎えるプランを主張しましたが、「きっと後悔することになるから。」と冒険野郎に説得されました。今考えるとこの判断は正しかったようです。(あとで詳述します。)ここホロンボハットにもしっかりした作りのログ・ハウスのようなものが建っていました。30日は高度順化と蓄積された疲労を取るのため、ひたすらダラダラ過ごしました。この日はロッジに泊まらずテントを張りました。夜は、この標高では暑くもなく寒くもなくちょうど良いかんじです。
翌31日は多少高いところまで登り、またもとのホロンボハットに戻りました。とんでもない所で年越しすることになってしまいました。
1月1日全くお正月の雰囲気のない場所ですが、とりあえず初日を拝んどきました。
赤土の中をひたすら歩きました。人生でこれだけ連続して歩くことはもうないだろうな。と確信しながら歩きます。高度順化がうまくいっているのか、お昼すぎまでは快調でした。夕方近くなるころにはキリマンジャロの山頂がはっきり見えてきました。ところが、このあたりから体調が微妙になってきました。100メートル登るのがかなりしんどいです。結構ふらふらになって目的地キボハット(4,703m)に到着しました。赤道直下ですが、あたりには雪が積もっています。雪の中にテントを張りました。夜1時に、いよいよ山頂アタックです。
PS
最近法律と関係ない話は続いてますが、考査準備のため、それどころではありません。すみません。次回(月曜日)は考査も終わってます。終われば余裕があると思いますので、しばしお待ちを!

2003年05月29日

キリマンジャロ−その5

12月29日。朝6時に起きてすぐ出発しました。朝飯にシェルパが現地の人が食べるトウモロコシで作った団子のようなものを持ってきました。すごくまずかったのですが、露骨にまずいとも言えないので「Good. Good. 」と言っていたら、ニコニコして大盛りのおかわりを持ってきました。私が食べるのをニコニコして見ているので、泣きそうになりましたが、全部食べました。「Noと言える日本人になりたい。」とこの時はさすがに思いました。それに懲りてその後はカップラーメンみたいなものを毎日食べてました。
登山は中学校時代の霧島(九州にあります。)以来となります。富士山にすら登ったことはないので、標高3000メートルは未知の領域です。一応未知の領域の予習のために「山と渓谷」というマイナーな月刊誌を読みました。(業界では有名な雑誌なんでしょうが、業界の人間ではないので、以来この雑誌を読むことはありません。)
植物も高山植物ばかりになり、だんだん高地っぽくなったきました。シェルパは頭の上に大量の荷物を載せ、どんどん歩いていきます。まだまだ遠くに見える頂上のことを考え、ひたすら歩きます。風景がほとんど変化しないので退屈です。途中「Last water point」という看板がありました。そこにある小さな泉で貴重な水分を補給しました。ここで補給した水を担いで登らなくてはなりません。ここまでは贅沢に水を使っていましたが、今後は節水です。どうやらこれ以降ヒゲを剃る訳にはいかないようです。登山家はこんな理由でヒゲ生やしているのかと妙に納得しました。夕方ようやく次のキャンプ地ホロンボハット(3,720m)に到着しました。

2003年05月28日

キリマンジャロ−その4

翌朝28日、キリマンジャロの登山入り口(マラングゲート(1,150m))に到着。登山するすべての人間に保険をかけ、登山料(?)200ドルぐらいを入り口で払いました。シェルパ(荷物を持ってくれるありがたい人)の分まで負担したので結構な値段しました。現地で冒険野郎の知り合いで冒険野郎見習(?)のイギリス人男性と組んで登ることになりました。冒険野郎はこれでキリマンジャロは3回目、冒険野郎見習は私と同じ初めてです。
キリマンジャロは途中までなだらかな斜面です。つまり山頂ははるか先にうっすら見える程度です。あんなとこまで行くの?とちょっと後悔しながら、とてつもなくでかいリュックをしょって登り始めました。最初はジャングルのような密林のようなところを足場に気をつけて登って行きます。「おっ、野生のカメレオンがいる!」とか最初の内は、はしゃいでいましたが、単調な林道に飽きてしまい、その内グッタリしてだれもしゃべらなくなりました。途中山を降りてくる人とすれ違うと、彼らは元気そうに「ジャンボ!(スワヒリ語でこんにちは)」と話かけてきますが、こちらは小声で「ジャンボ。。」というのが精一杯でした。丸一日歩いて最初のキャンプ地(マンダラハット(2,700m))に到着しました。キャンプといってもしっかりした木造の学校の校舎のような施設があり、水洗トイレもありました。テントを張るのかと思っていましたので、ちょっと拍子抜けしました。こんな山なのに文明があります。

2003年05月27日

キリマンジャロ−その3

赤道直下ですから、真冬でも気温は30度を越えます。ナイロビの市内を見て回るとなんと東京で1錠5000円していたマラリア対策用の錠剤が100錠500円ぐらいで売ってました。かなりトホホです。こっちで買えば良かった。。。と思っても後の祭でした。ナイロビで四泊してから、キリマンジャロのあるタンザニアに向いました。せっかくここまで来たのでマサイマラ国立公園(大阪府ぐらいの大きさ)でサファリ・ツアーに参加し、ライオンとかを見て回りました。
12月27日、ところどころにシマウマの屍体が横たわる舗装されてない道路をジープで延々とドライブしました。サファリ・ツアーに参加してみて新しい発見がありました。動物の写真のアップは危なくて撮れず、唯一アップで撮れる写真は動物の屍体だけということです。でもどうしてもアップの写真が欲しかったので、屍体を激写しました。後日現像して思いっきり後悔しましたけど(笑)。
すっかり日も暮れる頃、タンザニアとの国境に到着しました。出入国の手続をすませ、その日はどうでもいいようなモーテルに泊まりました。
PS
事務所にまたしてもそれらしい人たち4人が来ました。事情を話し勘弁してもらいました。
助けて下さい(泣)。