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司法書士法人ファルコは商業登記・会社登記・法人登記を中心とした企業法務コンサルティングに特化した専門家集団です。

ブログ

2003年06月04日

キリマンジャロ−その9

でもここまで来たら行くしかないですよね。カップのふちをしばらく歩くと太陽が昇ってきました。真っ暗だったあたりが急に明るくなりました。回りの風景はクールミントガムの包装紙のようです。(イメージ湧きますか?)あちこちに青白い巨大な氷の壁があります。
赤道直下なのに南極のような景色です。途中で一度足を滑らせました。大きな雪の塊がすり鉢の中を転げていきます。後で聞いたところによると、他のグループは私が落ちたと思っていたそうです。くわばら、くわばら。半歩半歩あるくのが苦しく、気のせいか手にはめたグローブや上着が重く感じられます。よっぽどグローブと上着を捨てようかと思いました。今考えるとどうにかしてますね(笑)。
キボハット出発して9時間ぐらい経過したでしょうか。とうとうウフルピーク(5,895m)に到達しました。そこには小さな看板があり「Highest point in Africa」と書いてありました。冒険野郎たちは待ちくたびれた様子でした。ベテランのシェルパはこの頂上でなんと煙草を吸って待っていました。(こっちは酸素がないっていうのに信じられません。)育った環境でスゴイですね。
あとはひたすら降りるだけです。気分もどんどん良くなるはずです。
冒険野郎はこの高度なのに走って降りて行きました。結局イギリス人の冒険野郎見習と降りることになりました。登りと違って下りは楽です。しかし私の体調が良くないので、他の人たちと離されてしまいました。そのうち、他のグループをすっかり見失ってしまいました。3時間も降りればもとのキャンプ地に着くはずです。ところが4時間たっても5時間たってもキャンプ地に到着しません。どうやら降りるルートを間違ったみたいです。
イギリス人の冒険野郎見習とは口論が続きます。人間って極限では本性でますね。相手をいたわる気持ちが無くなってきます。
冷静に考えても考えなくても我々は遭難したみたいです。

2003年06月03日

キリマンジャロ−その8

夜12時に起きて朝食を取りました。(ビスケットと紅茶)が、すぐに吐いてしまいました。
とても登れるかんじではありません。しかし「一生何もできない奴(ヘタレ)」になりたくない一心で登ることにしました。基礎体力なかったら、終わってたと思います。2度3度吐いてたら、いよいよアタックの時間になってしまいました。午前1時、あたりは真っ暗です。ここまでなだらかだった山が突然険しくなりました。斜面が急過ぎるので、ジグザグしながらでないと登れません。空気が薄く、深呼吸しても酸素が入ってきません。分厚い蒲団の中にもぐって口をタオルでふさいでいるようです。一歩一歩登ることもできなくなり、半歩ずつ登ることになってしまいました。あたりはすっかり深い雪山です。
途中チョコチョコ吐きました。みんなよりペースが遅いので、大分離されてきます。
キボハット側から登ると頂上はギルマンズポイント(5,685m)というところです。
ところがこの山とても意地悪な形をしています。
キリマンジャロの山頂はすり鉢(というよりカップ)のように中央がへこんでいます。へこみの部分は数百メートルの深さがあります。意地悪な形というのは、キボハットから頂上を目指す通常の登山ルートで行くとギルマンズポイント(5,685m)に到着するのですが、そこから見えるこの大きなカップの反対側のほうがちょっと高いのです。つまり本当の山頂(ウフルピーク(5,895m))に到達するには、高度5700メートルのカップのふちをエンエンと半周(約4キロほど)歩きつづけなくてはならないのです。しかもカップのふちは5メートルから20メートルぐらいの幅しかありません。落っこちたら簡単に死んでしまいます。この山の一番厳しいところです。そんな事情のせいかここまで来て引き返す人たちも結構います。(ちょっと言葉で表現するの難しいです。ご理解頂けましたでしょうか?)
P.S.
考査終わってるのに、ダラダラとキリマンジャロのネタばかりじゃないかとお叱りを受けてしまいそうですが、もう少しで終わりますのでお付き合い下さい。
今日考査問題をアップしました。要件事実の勉強をしっかりやっていれば、簡単だという人もいますし、深読みすると難しいという人もいます。興味ある人はトライしてみて下さい。
お読みになったご感想を是非お聞かせ下さい。

2003年06月02日

キリマンジャロ−その7

夜テントで中々眠れません。いらいらしてきます。他のグループの人に脈を計ってもらったところ、安静時なのに180です。安静にしているのに短距離走直後のような脈拍はきつ過ぎます。これで登り始めたら脈拍は200を簡単に超えてしまいそうです。めちゃめちゃ頭痛もしてきました。まさかこれが高山病か?普通に生活していると高山病かかることもありませんが、とにかく苦しいです。水を飲むと楽になるといわれ、ひたすら水分補給しました。
水を飲むとトイレに行きたくなります。近くにトイレはありませんから、その辺ですることになります。テントから50メートルほど離れたところに茂みのようなところがあり、そこで用を足せばいいのですが、歩くのがキツいのでテントを出てすぐのところでしてしまいました。とても気分の悪そうな私に、同行している冒険野郎たちは「こんな近くでするなよ!」とか文句言いませんでした。気の毒だと思われたようです。他のグループでは、脱落者が出て山を降りていきました。高山病は治すにはただ山を降りれば治るそうです。モスクワを経由してここまで来ているのに、これで降りて帰ると一生何もできない奴(ヘタレ)になりそうな気がします。「失敗したら」と考えれば考えるほどヘコんでしまいます。あまり気分が悪いと言ってると山を降りることになりそうだったので、結局静かにしていました。自分の心臓の鼓動だけがテントの中に響きます。
P.S.
昨日の考査で特別研修は全て終了しました。どんな問題が出るかわからない試験を受けるのってキツイですね。試験問題は持ちかえり可でしたので、2回目以降の人達はだいぶ楽になりそうです。(時間があったら問題をUPしておきます。)ご高齢の受験者は何十年ぶりの試験だったと思います。問題を解いている様子が痛々しかったです。結果は7月ぐらいに発表されるみたいです。この頃になっても結果に触れないようでしたら、そっとしておいて下さい。
私のお客様の中には、考査終了まで質問を遠慮して下さった方(ありがとうございます。)もいらっしゃいました。が、今日から皆さんが一斉に質問されるので、考査が終わったのにかえって忙しくなってしまいました(笑)。

2003年05月30日

キリマンジャロ−その6

ここまで多少疲れはありますが、高山病の症状はでてません。しかしヘビースモーカーの私(1日40本以上)がこのあたりからタバコを吸わなくなりました。結局山を降りるまで吸いません(吸えません)でした。なんとなく空気が薄くなってきた気がします。一緒に登っている冒険野郎がここで高度順化(高山病防止のため、ある一定の高度に一定の時間滞在する)するため、ここに3泊する予定だと説明しました。「楽勝だからガンガン行きましょう!」とお正月初日の出を頂上で迎えるプランを主張しましたが、「きっと後悔することになるから。」と冒険野郎に説得されました。今考えるとこの判断は正しかったようです。(あとで詳述します。)ここホロンボハットにもしっかりした作りのログ・ハウスのようなものが建っていました。30日は高度順化と蓄積された疲労を取るのため、ひたすらダラダラ過ごしました。この日はロッジに泊まらずテントを張りました。夜は、この標高では暑くもなく寒くもなくちょうど良いかんじです。
翌31日は多少高いところまで登り、またもとのホロンボハットに戻りました。とんでもない所で年越しすることになってしまいました。
1月1日全くお正月の雰囲気のない場所ですが、とりあえず初日を拝んどきました。
赤土の中をひたすら歩きました。人生でこれだけ連続して歩くことはもうないだろうな。と確信しながら歩きます。高度順化がうまくいっているのか、お昼すぎまでは快調でした。夕方近くなるころにはキリマンジャロの山頂がはっきり見えてきました。ところが、このあたりから体調が微妙になってきました。100メートル登るのがかなりしんどいです。結構ふらふらになって目的地キボハット(4,703m)に到着しました。赤道直下ですが、あたりには雪が積もっています。雪の中にテントを張りました。夜1時に、いよいよ山頂アタックです。
PS
最近法律と関係ない話は続いてますが、考査準備のため、それどころではありません。すみません。次回(月曜日)は考査も終わってます。終われば余裕があると思いますので、しばしお待ちを!

2003年05月29日

キリマンジャロ−その5

12月29日。朝6時に起きてすぐ出発しました。朝飯にシェルパが現地の人が食べるトウモロコシで作った団子のようなものを持ってきました。すごくまずかったのですが、露骨にまずいとも言えないので「Good. Good. 」と言っていたら、ニコニコして大盛りのおかわりを持ってきました。私が食べるのをニコニコして見ているので、泣きそうになりましたが、全部食べました。「Noと言える日本人になりたい。」とこの時はさすがに思いました。それに懲りてその後はカップラーメンみたいなものを毎日食べてました。
登山は中学校時代の霧島(九州にあります。)以来となります。富士山にすら登ったことはないので、標高3000メートルは未知の領域です。一応未知の領域の予習のために「山と渓谷」というマイナーな月刊誌を読みました。(業界では有名な雑誌なんでしょうが、業界の人間ではないので、以来この雑誌を読むことはありません。)
植物も高山植物ばかりになり、だんだん高地っぽくなったきました。シェルパは頭の上に大量の荷物を載せ、どんどん歩いていきます。まだまだ遠くに見える頂上のことを考え、ひたすら歩きます。風景がほとんど変化しないので退屈です。途中「Last water point」という看板がありました。そこにある小さな泉で貴重な水分を補給しました。ここで補給した水を担いで登らなくてはなりません。ここまでは贅沢に水を使っていましたが、今後は節水です。どうやらこれ以降ヒゲを剃る訳にはいかないようです。登山家はこんな理由でヒゲ生やしているのかと妙に納得しました。夕方ようやく次のキャンプ地ホロンボハット(3,720m)に到着しました。